超幻日記

素粒子、量子論、宇宙論のことを辺境にいる一人の視点から改めて眺めてみます。単なる勉強帳になるかも。。

エベレット論文の意訳 第2回 通常の量子力学-外部観測者形式の適応領域




この記事はHugh Everett,IIIの書いた多世界解釈についての原論文"Relative State" Formulation of Quantum Mechanicsについて書いています。投稿された雑誌はReview of Modern Physics Volume29,454です。

第2章 通常の量子力学-外部観測者形式の適応領域



通常のいわば”外部観測”形式での量子力学を簡潔に次のようにまとめよう。

物理系は状態関数ψによって完全に決定される。これはヒルベルト空間の一つの元であり、外部観測者によって行われる様々な観測結果がでる確率のみを情報として与える。状態関数は二つの基本的に異なる変化をする。

プロセス1 観測による非連続的な変化。状態ψは固有状態φiに確率|(ψ,φ)|^2で変化する。
プロセス2 連続的で決定論的な変化。孤立系では時間に従って波動方程式∂ψ/∂t = Aψで時間発展する。Aは線形演算子

この形式は実験をよく記述している。これと矛盾する実験的な証拠は知られていない。

すべての考えられる状況にこの数学的定式化のフレームワークが適応するわけではない。例として観測者(もしくは観測装置)とある観測される系からなる孤立系を考える。状態の時間発展はプロセス2によって記述することができるだろうか?もし、そうであるならプロセス1のような非連続で確率的なプロセスが起こるはずはない。もし、そうでないなら我々が他のすべての物理系に認めるとの同じような量子力学的記述と同じ種類の記述を、観測者を含む系については適用できないことを認める事になる。

この問題は単に心理学の領域であるとして除外できるようなものではない。量子力学における”観測者”の議論のほとんどが光電管や写真乾板や同様のデバイスのような機械に置き換える事ができる。もし、分析する上で観測者を機械のレベルでみるというよりなじみ深い感覚で考えたくないのなら、このように、問題をこの類に制限する(観測者を観測器のような機械に制限する)ことができる。

近似的観測のみが有効であるようなケースでは通常の形式のプロセス1と2のどのような混合によって記述することができるだろうか。近似的観測とは、観測装置もしくは観測者が弱く、ある限られた時間でのみ観測対象と相互作用するような場合である。近似的観測のケースにおいて適切な理論であれば必ず以下を明確にする必要がある。

(1)観測装置の観測値に対応する観測対象の新しい状態
(2)その観測値が起こる確率

フォン・ノイマンは近似的観測のある特殊なクラスにおいては、射影演算子を使って扱うことができることを示した。しかし、すべての近似的観測についてのより一般的な扱いを射影演算子を用いて記述する事は不可能だった。

通常の量子力学の形式を時空の幾何学それ自身に適応させるとどうなるだろうか。問題は閉じた宇宙の場合に特に明確になる。そこでは系の外側でそれを観測することはできない。そこではある状態を他の状態へと遷移させる外側が存在しない。エネルギーの固有状態というなじみ深い概念でさえ完全に適応することができない。エネルギーの保存則の導出において系のすべての部分とその相互作用を含むほど十分に大きな表面について積分する必要があるが、閉じた空間において、表面は体積が大きければ大きいほど大きくなり、究極的には消滅してしまう。閉じた宇宙に対して全エネルギーを定義する試みは意味のない言明に崩壊する。0=0という。

閉じた宇宙や、近似的観測や、観測者を含んだ系のようなものの量子力学的な記述はどのようにすればよいのか。これら三つの問いは一つの共通の特徴を持っている。それは、彼らがみな、孤立した系の内部における量子力学について問うているということである。

外部からの観測ができない系に通常の量子力学の形式が適用できる証拠はない。この形式の解釈方法は外部からの観測による記述がもとになっているからだ。観測の結果となる様々な可能性についての確率はプロセス1によっておもに述べられる。この形式のこの部分なしに、通常の機械装置を物理的な解釈に帰するようなどんな手段も存在しない。しかし、プロセス1は外部観測者のいない系については不可能である。


第3章へ続く